令和6年能登半島地震

日記

2024年1月1日は忘れられない一日となった。

普通に目が覚めた朝だった。

特におせちやお雑煮を食べる予定もなく、いつも通り起きてYouTubeを聴く。

今年の1月1日は「一粒万倍日×天赦日」の最強開運日
何かを始めるにはもってこいとのことで、勉強に当てようと決めていた。
なので、以前から気になっていたNotionを始め、英語の勉強を始め、ついにリベシティにも入会する。
ドキドキしながら会員登録を済ませ、まずは「つぶやく」のか…と思い他の人の投稿を見て自己紹介する。

その数分後、突然の揺れ。
一瞬、気のせいかな?まぁすぐおさまるやつかな?と思った。

すぐおさまった。
と思いきやものすごい勢いで揺れだした。

「なに!?!?」

もう現実とは思えないほど大きい。
しかも長い。

はじめてベッドの下に潜り込んだ。

いや、でも何か倒れて落ちてきたらまずい。
そう思いグラグラとする部屋の中を歩き回る。
いや、とりあえず大丈夫そうだ。
またベッドのほうへと逃げる。

緊急地震速報がけたたましく鳴り響く。

訓練でなく本物の警鐘ははじめて聞いた。

能登で震度7。

富山で震度5強。

5強。
だろうな、こんな大きな地震はじめて経験した。

津波警報が出る。

え、津波!?
逃げるの?
それともここにいたほうがいいの?
高台ってどこ?
山?…でも山って地滑りしない?
まだ揺れるの?
どうしたらいいの?

とにかくパニックだった。
このまま倒壊するのか?
津波はここまで来るのか?
そうなったら…もう終わりだろうな。
正直もう諦めさえよぎった。
こんな平地でどこへ逃げるのかわからない。

何度か地震は続いた。

ふとおさまった時、まずは情報収集をしなければ、と思いX(旧Twitter)をチェック。
もう正直当時のことは思い出せない。
ただただ情報を追った。
避難するために何が必要なのか考える余裕さえなかった。思考停止とはこのことだ。

おそらく2時間ほどただただみんなのつぶやきを見ていた。
近隣で道路陥没や建物の倒壊、津波の映像、恐怖でしかなかった。
その間も何度か地震があり、座ったりしゃがんだりを繰り返した。
もはや地面が揺れているのか自分が揺れているのかわからない。

ようやく落ち着いたころ、自分で考える余裕がなさ過ぎて入会したばかりのリベシティにつぶやいてみた。

「北陸在住です。 こんなに大きな地震は初めてで動悸と体の震えが止まりません。 SNSで津波や道路の陥没の投稿を見ていると避難するべきなのかどうかも判断がつかず不安です…。 何かあればお知恵をお借りしたいです。」

すると続々とたくさんの方が心配やアドバイスをくださった。

●近くに海、川がある場合は津波警報が出ているので少しでも高いところに身を寄せる。
※ハザードマップを確認→そこに避難!!必要最低限の荷物で逃げる!!
●今いる場所が安全そうならあえて避難しなくてもよい。ただ、一人が不安なら人がいるところへ行く。
●内陸なのであれば
①お風呂にお湯をためる
②ライトの準備
③防寒具の準備
④逃げる際に必要な靴を出しておく
⑤スマホの充電

※お風呂の水はライフラインが途絶えた際に利用
①トイレを流す際の水
②飲み水
③調理用の水
④体を拭くよう、頭を洗う水

●不安が拭えないのなら、SNSを見たり楽しい動画を見たり気を紛らわせる。

思考停止状態の私にとって、とてもありがたかった。

とりあえず水をため、靴と防寒具を準備し、バッグを取り出し衣類やタオル、ティッシュ、食材、飲料を詰める。
逃げる場所…津波の場合の避難場所はよくわからないが、とりあえず近くの小中学校のようだ。

同じ県内に住む友人にも連絡をしてみる。
「大丈夫だよ!今出勤したところ」

…?出勤??
何かの打ち間違いかと思い、とりあえず無事でよかった!と返す。

あとでふと気づいたが、友人は公務員である。
そうか、避難所を取りまとめる側だ、とため息が出た。
こういう時だからこそ出動しなければならない人がいる。
感謝しなければならないと痛感した。

Xで仲の良い方からも連絡がきた。
「ご無事ですか?避難される場合は充電も大事だと思うので落ち着くまで連絡は不要です」

なんという気遣いだろうととても嬉しかった。
会ったこともない、顔も知らない方。
なのに真っ先に心配し、気遣いまでしてくれる。
こういう方を大切にしたいと思った。
私もこういう気遣いができるようになりたい。
普段から惜しみなくGIVEしてくださる人。嘘偽りのない誠実でまっすぐな人。
わかってはいたが、こういう時にまで人柄って明確に表れるなとひしひしと感じた。
むしろこういうときだからこそ余計に感じたのかもしれない。

恐怖がある中で、人とのつながりや温かさを感じた。

その日の夜は不安ながらもいつでも逃げられる心構えを持ち、ニュースを聞きながら眠った。

幸い、隣の市の道路は陥没しているというのに私が住んでいる地域は無事だった。
避難することなく、何が壊れるでもなくライフラインが止まるでもなく4日が経った。
今も余震は続いている。
2階の住人の物音にも驚き動悸がするようになってしまった。

三が日も終わり世間は普通に日常を取り戻している。
物流も滞ることなく、スーパーへ行けば商品もきちんとそろっている。

とはいえ、当たり前の日常なんてないんだと思い知った。

いろんな意味で忘れられない一日となった。

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